パラダイス・ナウパラダイス・ナウ
(2007/12/07)
カイス・ネシフ.アリ・スリマン.ルブナ・アザバル.アメル・レヘル.ヒアム・アッバス.アシュラフ・バルフム

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イスラエル占領地ナブルス、
自爆攻撃へと向かう二人の若者の48時間

監督:ハニ・アブ・アサド
脚本:ハニ・アブ・アサド
   ベロ・ベイアー
撮影:アントワーヌ・エベルレ

出演:カイス・ネシフ サイード
   アリ・スリマン ハーレド
   ルブナ・アザバル スーハ
   アメル・レヘル ジャマール
   ヒアム・アッバス サイードの母
   アシュラフ・バルフム アブ・カレム


イスラエル占領地のヨルダン川西岸地区の町ナブルスに住むパレスチナ人の若者サイードとハーレド。
ある日、サイードはヨーロッパで教育を受けた女性スーハと出会うが、同じ日にパレスチナ人組織の代表者から ハーレドと共にテルアビブでの自爆攻撃の使命を受けるのだった・・。
昨日、たまたまケーブルTVで放送されていた『ユナイテッド93』を途中から観てしまいました・・。

「観てしまった・・」と言う私の気持ちには この作品も含めて、『ワールド・トレード・センター』も未見のままでいようと思う気持ちがあるからです。

私の中で、未だによく分らない「9.11」。

起きてしまった事象についての理解と 尊い命がたくさん奪われてしまった事への鎮魂の想いは決して尽きることはありません。

ただ、そこに至るまでの歴史を知らないまま、どちらか一方の立場や視線で描かれた作品に感化される事のへの違和感をどうしても拭うことが出来ないのと、この「9.11」に限らず、過去の戦争映画も その残酷な描写が苦手だという理由の他に、上記と同じような理由があり、避けている事情があります。

もしそれらを観たら、絶対に泣くと思うし、怒りに震えるとも思うし、簡単に「可哀想・・」とも思ってしまう本当に単細胞な私です。
だから観ることが出来ないし、観る事が怖いのかもしれません・・。

途中から観た『ユナイテッド93』の鑑賞後の後味の悪さは本当に辛いものがありました・・。

事実に沿って描かれていると聞いていますが、この飛行機に乗り合わせた乗客の悲劇と、この悲劇を起こしたテロリストと呼ばれる人々の悲劇にも思いを馳せ、救いようの無い重くるしい胸のつかえだけが残りました。

日本に住んでいる以上、これは仕方の無い事なのかも知れませんが やはり情報の偏りによる知識や感情の偏向が怖いのです。

そんな思いでいる私に、この『パラダイス・ナウ』という作品は、難しい歴史や 現在の中東情勢や西側諸国との対立の構図の知識の有る無しに関らず、今現在の中東の特にイスラエル占領下のパレスチナ人の心の動きを 遠く離れた平和な日本でも 同じ人間の心として捉え、事の善悪は別として共感することが出来たことに大きな意義と感動を覚えます。

どこの世界にもある 様々に鬱屈した想いを抱える若者たち。

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映画の舞台になったイスラエル占領地のヨルダン川西岸地区の町ナブルスに住むサイードとハーレドも そんな幼馴染の若者です。

ただ、彼らが今の日本の若者と違うのは いつ召集が掛かり、自爆テロリストととして 自らの命を懸けイスラエルの人々を抹殺するという使命を帯びているという紛れも無い事実です。

ちょっと硬い言い方になってしまったけれど この作品の中に描かれている二人サイードとハーレドは、本当に極々普通の若者です。

恋もするし、大人に反抗もするし、家族思いだったり、そうでなかったり・・、どこにでもいる若者たち。

だからこそ、そんな彼らが その後唐突に「自爆攻撃」という使命に突き進んでいく姿が非日常では無いのだという事実に 強烈に戸惑い、うろたえてしまうのです。

そして、運命の日・・。

決して誰にも知られないように、二人は組織の指示通りに黙々と準備に掛かります。

それはまるで死に行くものの儀式のように淡々と進められ 多くの若者がそのようにして 同じ道を辿って行ったことを暗示しています。 

彼らはどんな気持ちでその日を迎えていたのだろう、どんな思いでその決意を全うしたのだろう・・と、決して答えの出ない思いを巡らして それらのシーンを見守っていました。

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その時の組織の上層部の人々は、「自爆テロ」を「聖戦」、あるいは「殉教者」と説き、彼らの最後の思いをビデオに納めることで 「君たちは英雄だ!」という意識を強く持たせ、また次に続くもの達への奮起を促す資料として残そうとします。

ここで、ふっと「洗脳」という言葉が頭を過ぎりました。

もちろん、強い信仰心のある人々とそうでない私の間に このような状況下で同じ想いを共有出来うるはずもありませんが せっかく決死の誓いのメッセージをビデオカメラに向って語ったのに、撮り直ししなければならなかった彼らの心境たるや・・。

決して笑うシーンでは無いのですが 絶対的な信念による「死」の前にあっても苦笑を誘わずにいられない演出に、監督がこの作品作りに中において あくまでも普通の人間を捉える視線に重点を置いている感じがするのでした。

さらに いよいよ自爆テロに出立した二人が辿る結果に決定的な違いを描いた理由を 二人の家庭環境の中に見出すことが出来ます。

つまり 途中作戦の失敗から離れ離れになった二人は 結果的にハーレドは翻意するのですが サイードは多分ラストシーンで決行しただろうという余韻を残します。

何故なら、サイードの父親の不在が劇中で描かれていますが どうやら父親は密告者であり、彼らの世界でいう裏切り者だったという事を知ってしまったサイードは、その事に大きな負い目を感じるようになります。

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それを払拭し 残された家族がその社会の中で生きていくためには 自分がこの自爆テロを成功させるしかないという思いが彼の中で強く沸き起こってしまったのです。

この演出も政治的なイデオロギーも背景には描きつつ、しかし本音の部分では 自爆テロもあくまでもサイード個人の感情に左右されての表現になっているように思えるのです。

最後に監督のインタビューで、なるほどと思った言葉ですが・・。

「私の調べたところによると、自爆攻撃をした者の遺族は自爆攻撃で亡くなったことを大きな損失だと感じています。
しかし、誰も無駄死にしただなんて思いたくないので、社会の為に死んだと口にします。
しかし、心の内はきっと違うでしょう。
神風特攻隊の手紙は、自爆攻撃者と非常に似ている部分がありました。
「良いことをするんだ、お国の為だ」と自分に納得させようとする文が多く、しかし、文字の隙間に恐怖だとか悲しみといった、人間らしい面が感じられました。
そうしてはっきりしたことは、ひとつとして決まったタイプはなく、誰一人としてステレオタイプな型にはまっていないということです。」


例え、信念に基づいたどんな戦いに臨む場合も、死に直面した人間の事情や思いは人それぞれ。

明暗と言ってしまったいいのか躊躇われますが サイードとハーレドの二人にも まさにそれと同じ状況が存在したことだけは確かのようです。

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サイードが自爆テロの召集が掛かる直前に恋に落ちたヨーロッパ育ちのパレスチナ人女性のセリフが まさに私たちの側の考え方かもしれません。

サイードの思いと彼女の考え方の違いから 今の世界情勢が透けて見える気がしました。

この作品はイスラエル在住のパレスチナ人の監督と イスラエルのプロデューサー、そしてヨーロッパのスタッフたちで作り上げた作品だそうです。

オスカーでノミネートされた外国映画賞は逃しましたが・・ 
◎ベルリン国際映画祭( 2005)■ ヨーロピアンフィルム賞
◎ゴールデン・グローブ (2005)■ 外国語映画賞
◎ヨーロッパ映画賞 (2005)■ 脚本賞
◎インディペンデント・スピリット賞 (2005)■ 外国映画賞
以上の受賞をしています。

この受賞暦を見ても、何やら考えさせられるものがあるような気がしてなりません。



 

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