![]() | 君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956 デラックス版 (2008/06/25) カタ・ドボーシャーンドル・チャーニ 商品詳細を見る |
監督:クリスティナ・ゴダ
脚本:ジョー・エスターハス 他
撮影:ブダ・グヤーシュ
音楽:ニック・グレニー=スミス
出演:イヴァーン・フェニェー
カタ・ドボー
シャーンドル・チャーニ
カーロイ・ゲステシ
イルディコー・バンシャーギ
タマーシュ・ヨルダーン
ペーテル・ホウマン
1956年、ソ連の支配下にあったハンガリーの首都ブダペスト。
独裁的な共産主義政権に対する市民の不満は日毎に募り、やがて学生を中心とした民衆たちは自由を求め、ついに蜂起した。
水球チームのエースであるカルチはメルボルン・オリンピックに向けて練習の日々を送っていたが、ある日ブダペストの街角で反政府デモを呼びかける女子学生ヴィキを知り、心惹かれる。
やがて、デモが激しい銃撃戦へと発展していく中、ソ連軍が市民を銃撃する光景を目の当たりにしたカルチは 水球のエースの座を捨てて、ヴィキたちと共に改革に身を投じていく・・。
20世紀半ばのハンガリーの歴史を背景にした悲しいラブ・ストーリーです。
ここでは ハンガリー動乱やメルボルンの流血戦という史実が明確に描かれていることにより フィクションであるはずのカルチとヴィキの悲恋に生命が吹き込まれ 当時、ソ連の弾圧を廃し、民主化を目指し戦ったハンガリーの一般市民の日常を身近に感じることの出来た作品でした。
最近では「サルバドールの朝」、「白バラの祈り」、「善き人のためのソナタ」などなどを髣髴とさせる作品でもあります。
歳がバレるけど(苦笑)、テレビだったか何だか忘れてしまったけれど ソ連軍のチェコへの軍事介入のニュースを観た幼かった私も、チェコの市街地に続々と戦車が列を成して介入してくる映像に 事態の深刻さを感じ取り 少なからず衝撃を受けた記憶があります。
そして今回この作品を観て あの時私が観たニュースの中のソ連軍のチェコへの軍事介入と同じようなことが その僅か十数年前にもハンガリーでも起きていた事に 改めてこの作品の作られた意義を エンドロールに流れる一遍の詩の中にあった『自由に生まれた者には分かるまい』という言葉の重みと共に 深く自身の胸に問わずにいられない作品でした。
話をストーリーに戻して・・
ヴィキが過激なまでに反政府運動にのめり込んでいる理由の一つにに 同じく両親がその運動により犠牲となった過去があります。
彼女の表情に悲しみを糧とした強い信念を見るような気がするのは そういう過去があったからでしょう。
一方、オリンピック選手として政府や国民の期待を担うカルチにとっては 必ずしも反政府運動は身近なものではなく、どちらかと言うとエリートコースを歩む特権階級に位置する若者のお気楽ささえ感じるようです。
そんな二人が出会い、そして恋に落ちた・・。
最初は興味本位でヴィキやヴィキたち反政府主義者たちの運動に参加したカルチが 目の前で友人がソ連兵士に射殺されるのを見た瞬間から カルチの中に異変が起きます。
この事件により、オリンピック選手としての重責や家族の期待など何もかもが 彼の心の中で意味を失ったのです。
ここから先に描かれる史実に沿った反政府運動やソ連軍の軍事弾圧などのハードのシーンの中で カルチとヴィキの悲恋はどんどん加速していきます。
ハンガリーへのソ連軍の軍事介入の最中行われた 「メルボルンの流血戦」として有名なメルボリン・オリンピック。
その中でのソ連とハンガリーの水球の試合をクライマックスとして 物語は悲劇的なラストを迎えます。
2006年はハンガリー動乱から50年目にあたり、ハンガリー政府がこれらの反政府運動をテーマした映画製作に補助金を出し、国内外で計7本作られたそうです。
こうした形で自らの過去の歴史を見直すという姿勢、いいですね。
まさか、国の検閲など入っていないと思いますが・・(^^;)
それにしても ソ連は確実に悪役です。
ハンガリーからの目線で描けば 当然そうなりますね。
ただ、監督のインタビューの中にソ連に対しての以下のコメントがあります。
「ハンガリーの人たちは、ロシアの人々も「共産主義」という思想に苦しめられた被害者と考えている。 自分の国にソ連軍が侵攻したので、ソ連をを恨まない気持ちがなかったとは言えない。 チェコもそうだが、あの時代はハンガリー以外にも、共産主義体制の下で抑圧された人々がいた。 今、ハンガリー人がロシア人に対して何か求める気持ちはないと思う。」
この言葉を生む監督の思想信条に大局を見る心の広さ豊かさを感じ、感動します。
映画より、この監督の言葉に感動したかもしれません、私・・(苦笑)
